こーちゃん
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砂漠緑化法

福岡正信氏 砂漠緑化法

多種類の種子を粘土団子の中に同時に混ぜ入れ、砂漠にばら播く。その中からその土地に合った種子が発芽する。
ひとつ根付くと その葉陰は温度を下げ、他の植物の発芽を促す。砂漠が緑化されることにより水蒸気が上がり雨を呼ぶようになる。
 
多くの砂漠で実施され、世界的に評価されて インドではガンジス賞を、フィリピンではマグサイサイ賞を受賞している。


古来 多くの文明が 生活のために森林を伐採し砂漠となし その結果 水を失って 都を捨てることになった。
今現在も同じことが繰り替えされている。


世界の平均森林比率は 22.7%
日本は 66.6%
中国 13.9%
インド 19.8%

13 May 2006 ピマイ遺跡

今日はピマイ遺跡で10時にpiAと待ち合わせ。
バスで行ける場所なので安上がり。
トクトクで第2バスターミナルへ行く、ここのトクトクは英語が通ぜず
タイ語でやっと通じた。

ピマイについて待ったが なかなか来ない。
電話は来るが要領を得ない
11時にメールが来てやっと遺跡入り口で会うことになった。
電話だと うまく話が通じないもんだ。


この暑い国で 巨石を使って 12世紀に石のヒンズーの神殿を
作る人間の意志、宗教心に 驚かされる。(このころタイはクメール(カンボジャ)の領地だった。)

banyan  ike 714  zen

しかし暑くてだらける。

大きなバンヤンツリーの方が神殿より 親しみを持てた。

迷惑をかける

タイ東北部の農民は貧しい。
ここは かって森林であった。
大戦後 外貨を稼ぐために伐採され 
また キャッサバ生産の為に森は切り開かれた。
共産ゲリラ対策として 森は焼かれた。

森林は1950年代 62%であったものが1980年代 14%に減った。


森が無くなると地下水位が上がって塩害が起きた。
木による吸水→蒸散→降雨と言う”水の自然循環"が断ち切られることから降雨が減少、

土地が乾燥、砂漠化した。
保水機能が低下するため洪水が起こる。


1985年 タイ政府はユーカリなどの商業植林を推進した。
軍が農民を強制退去させ土地を奪った。
日本国は”東北タイ造林普及計画”と言うODAプロジェクトで応援した。


ユーカリは製紙原料として日本国に輸出される。
ユーカリは一方その毒性から土壌を枯渇させ下草、動物を駆逐し川、池に流れこんで魚を殺す。(京大ユニセフクラブ)
日本人は生きているだけで こんなに迷惑を掛けています。


ケニアのワンガリ=マータイ 副環境大臣(ノーベル平和賞)は 杉、ユーカリの植林を止めさせました。

12 May 2006 ムアンタム遺跡

次にムアンタム遺跡に向かう すぐ近く。
パノムルンに比べれば小さいが蓮池が配置してあり美しい。


帰りにpiAの家に寄る。あずまやがあり 家は伝統的な高床式ではない。
入り口のレリーフが みごと。 土地は広く隣は母の妹の家。
雨水を溜める甕が有り、この地方の水の貴重さを感じる。
タイの良い地方では三部作も可能なのに この地方は1回しか米が取れない。
他では普通に見られるバナナやマンゴーの木が ここではほとんど見られない。

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piAの母と話した。
タイの人はハイテクの日本にあこがれる。
日本も昔はアメリカにあこがれて金持ちになった。
しかし心が荒れてしまった。(アメリカのように)
そんなものに憧れるより 貧しくとも豊かな心でいたほうが良いのではないか?

タイは日本より貧しくとも 周りのミャンマー、カンボジャ、ラオス、ベトナムより豊かで
工賃の面では周りの国に負けている。
外国資本もインドなどに逃げて行くのではないか。


見事なサボテンの花

散歩してたら 花がいっぱい付いたサボテンを見つけた


saboten

12 May 2006 パノムルン遺跡

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12 May 2006 パノムルン遺跡

今日は仏誕祭日で お酒が買えない
まずタクシーを雇う ホテルのオーナーの弟 2500B
高いけど ガソリンは上がったしホテルに足取りは残したし良いだろう。

去年 チェンマイで知り合った大学生 piAが案内してくれるので
piAの家に向かう

piA 21才 大学4年
プーイ 16才 高校2年
ゴット 9才 小学3年

ゴットはpiAといるのが大変嬉しそうに見えた。
piAは寄宿舎生活をして家にはほとんどこの3年帰らない。
プーイは 多分 小さなきついお母さんという役割だろうし
父母ともに働いているから さみしいだろうな。

パノムルン遺跡 暑い すぐ疲れる
暑いときは 森の中が良いなあーーー

レリーフが美しい。
ここにナーライ神のレリーフが有り
それは盗まれてアメリカの博物館にあったが
カラバオの歌運動によって無事返却された。

タクシーはガソリン臭くて怖かったがタイには稀な安全運転で
90キロ以上は出さず踏切で止まるしうまい運転だった。

コラートの街中を歩くと 豆乳売りの お姉さんや 肉屋の おばさんが
にっこり笑って サワディーカー(こんにちは!)と声を掛けてくれる。
こちらも 笑顔をかえす。

75Bのビフテキを食べる やはり硬い。値段相応です。

10-20 May Thailand

suranari カンボジャのアンコールワットは1113年クメールによって建てられ
1430年 タイのアユタヤ王朝に負けて放置された。
1860年 フランスのアンリ=ムオにより報告された。

フランスのアンドレ=マルローはバンティアスレイの女神像を運びだして罪を得た。
後に小説”王道”を記し植民地解放運動、ゲリラ活動などを行い
ドゴール政権下で文化相を勤めた。
このカンボジャの ”王道” がタイのパノムルン、ピマーイ遺跡まで延びている。

5月10日から20日までパノムルン遺跡の調査に出掛けて来ます。

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10 May 2006 Thai
成田空港は空いていた。出国の列も3人のみ
前線の影響か いつもは10,000mの高度を12,000mもとっていた。
にせ十字が南の空に浮かび
ベトナムに入ってから雲下の雷がドライアイスの下の花火のように美しい。
24時にバンコクに到着、荷物出しも早かった。
しかし空港バスは24時に停止となり、カオサンへはタクシーで向かった。
NAT2ゲストハウス 200B(B=3円)に泊まる。


11 May 2006 コラート
朝 パトンコー(揚げパン) 2BX4ヶを食べた
コラートへバス移動 9:30-13時 198B
くもりで良かった
人力車に初めて乗りホテルに向かった。20B
シリホテル 350B AC 60チャンネル放送 きれい
コラートは落ち着いた街だ。食品問屋が多い。(タイ第2の都市)
マンゴーが安い 10B
タオ=スラナリを拝む人が多い。
彼女は1800年代初期にラオスに攻撃されたとき
敵に酒を送って酔った所を襲って撃退した人で多くの人に愛されている。
今日は食事を忘れている。痩せられる。

池の色がレンガ色

水元公園の紅葉を待っている

もみじは 少し 紅くなって来たが月末が盛りでしょう

他の木も紅葉しはじめたものが少しある

池を見ると 何とレンガ色 !

花粉かと思ったが秋に花粉は無いでしょう

杉の枯葉かな?

ikerenga

八幡平 17日

人は滅びるとも 自然は また あるがままに森の日本列島を再生する


yogan  momi

焼走溶岩流:日本にも溶岩流が有るのを見たことが無かった。


tak1 tak2

森の大橋の景色:透き通った流れ 滝の淵の青さ 紅葉の紅、黄色 今日は死ぬのに持ってこいの日

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